宇和島に縁あるスーパースターといえば、あとにも先にもこの人お恵ちゃん=松山恵子=をおいて他はない。
7代目・宇和島駅の新駅舎完成2年後の平成12(2000)年11月25日、「鉄道唱歌100周年」(※)イベントの一環で、駅構内でお恵ちゃんコンサートが実現した。改札口左横に、携帯電話専用というユニークな電話ボックスも誕生したが、彼女の初期の大ヒット曲「お別れ公衆電話」にちなんでいる。
本名、岡崎恒好(つねこ)。昭和12(1937)年生まれ、小学生の頃父親の故郷宇和島市に移り、当時から中学時代まで堀端町の「なかむら軽音楽」(中村義雄氏主催)に歌のレッスンに通っていた。誰もレッスンへ来ない風の吹き荒れる台風の夜、停電になってもロウソクの火の下で練習を続けていたという頑張り屋で、当時から歌唱力抜群の天才的少女だったそうだ。
城北中学校卒業後、昭和29(1954)年7月、日本マーキュリーレコードの全国歌謡コンクールで優勝。翌年、同レコード会社より「マドロス娘」でデビューした。昭和32(1957)年「未練の波止場」を引っさげ第8回NHK紅白歌合戦へ初出場(合計8回出場)。「十九の浮草」「別れの入場券」「恋の三度笠」「おけさ悲しや」「思い出なんて消えちゃえ」「バックナンバー1050」「アンコ悲しや」「だから言ったじゃないの」など多数のヒット曲を持ち、現在もNHKテレビに華々しく登場。庶民派代表の大歌手『お恵ちゃん』は、今年デビュー50周年を迎えた。
※宇和島出身の国文学者、大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』は明治33(1900)年発行。当時としては10万部を超える空前の大ヒット、明治の旅ブームを巻き起こした。
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松山恵子さん

お恵ちゃん電話ボックス
(JR宇和島駅) |