‘中・四国伝道の父’米国人宣教師J・B・ランバスが、明治20(1887)年親子で来宇し、本町1丁目に「宇和島美以(みい)教会」の名で聖書を教授したのが、宇和島地域の人々に広く伝道を開始したはじまりとされ、同29(1896)年9月2日中町8番地(現在地)に教会堂を新築、南メソジスト教会に名称変更となり、さらに、同40(1907)年日本メソジスト宇和島基督教会に変わった。
轟夕起子が在籍した鶴城保育園は、明治37(1904)年W・P・ターナーにより同所に一時保育所が開設されたのを記念して、大正6(1917)年、鶴城保育園(昭和2年鶴城幼稚園に改称)としてこの教会に併設されたもので、宣教師キャラハンが開設者といわれる。卒園児名簿には、第6回卒園児20名の1人として轟の本名西山都留子が記されている。
口承によれば、‘時代劇のパイオニア’と称された映画監督、伊藤大輔※(明治31年10月13日元結掛生まれ)も、幼少時代ここに通っていたという風説がある。彼が宇和島を離れた時期は、保育所が開かれた翌年の明治38(1905)年と推定されているから、その可能性は少なからずあると思う。
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宇和島中町教会(現在)

宇和島中町教会
(明治29年・南メソジスト教会時代) |