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ウォッチングガイド


宇和島市内ウオッチングガイド

2005年3月4日号
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ここは宇和島市内の面白スポットを紹介するコーナーなんよ。これ読んだら宇和島をもっと楽しめますらい。
でも、これを参考にしてウオッチングされる方は、建物所有者関係者に迷惑がかからないようにしてな。

散策名人 田部司さん
今回も、宇和島の散策名人、田部 司さんに お世話になったんよ。

●宇和島ゆかりの有名人たち 天才女優 轟 夕起子(とどろき ゆきこ)

轟 夕起子
轟 夕起子さん
轟夕起子は、大正6(1917)年9月11日東京市麻布区新堀町の生まれ。 本名西山都留子(つるこ)。同12(1923)年9月、6歳の時関東大震災に会い、宇和島の叔父西山華葉(にしやま・かよう)を頼り両親とともに身を寄せていた。
彼女は鶴城保育園に入園後、第一尋常小学校(明倫小学校の前身)に通学していたようだ。小学2年生の中途で宇和島を去り、父親が貿易商だった関係から兵庫県明石市、西宮市を経て京都市へ落ち着いた。
15歳で宝塚音楽歌劇学校に入学。小学校時代からうまかった歌が物を言い、本名都留子をもじったトル子の愛称で親しまれ、小夜福子とのコンビで一躍名声をあげる。昭和12(1937)年日活『宮本武蔵』で、武蔵を慕うヒロインのお通役を可憐に演じ、それまでの時代劇にはなかった輝くばかりの近代的な美貌が注目を集め、その後の宮城千賀子、月丘夢路といった宝塚の大物スターの映画界入りの道を開いた。読書好きで努力家の明るい性格、歌も芝居もできる天才女優として生涯66本の映画に出演したが、戦後はしだいに中年の婦人や母親役など平凡な脇役に回り、かつての素質を円熟させる機会もないまま、私生活面でも2度にわたる離婚を繰り返した。
筆者が覚えているのは、同38(1963)年から始まった高橋英樹主演の『男の紋章』シリーズ(日活)。
彼女の最晩年にレギュラーで出た作品で、主人公の実母でありながら、敵対する組の鉄火肌の女組長といった複雑な役所を好演したのが印象深い。同42(1967)年、入院先の慈恵医大病院で閉鎖性黄疸のため死去、まだ49歳の若さだった。今をときめく沖縄アクターズ・スクール校長のマキノ正幸氏は、轟の最初の夫、マキノ雅広監督との一粒種であることを付け加えておく。
宇和島にまつわるもうひとつのエピソードは、戦前、追手門前の公園「昭翠園」の下手にあった「西山三味線店」(現在地:中央町1丁目 桜新道)は叔父の華葉が経営しており、轟がスターとして有名になった後も、「宇和島は第2の故郷」と懐かしがり何度かこの店を訪れていたようだ。
「団子鼻(だんごっぱな)のトル子さん」と呼ばれ評判の美人だった、とは当時を知る古老たちの話である。

●旧町名を歩こう 御小人町(おこびとまち)龍華前(りゅうげまえ)

西山華葉の家は、「龍華前」バス停跡の広場(「龍華前」の旧町名表示の石柱が最近建てられたところ)を左折した、辰野川に沿った幅狭い道の一画にあったと伝えられる。藩政時代「御小人町(おこびとまち)」という小字があり、御小人とは、刑事の下っ端、銭形平次の子分「八」のような存在であり、彼らの捕り縄の稽古場や屋敷があったことから名付けられた。現在の区画では宇和津町3丁目に当たり、城下町の静かなたたずまいを感じさせる雰囲気のある通りである。

龍華前・・・龍華山等覚寺の門前町であり、それに由来する町名であった。等覚寺は、元和4(1618)年生母の菩提を弔うため初代藩主伊達秀宗が建立し、以降、歴代の宇和島藩主伊達家菩提寺となった。本堂と庫裡は、昭和20(1945)年の戦災により灰燼に帰したが、鐘楼のある絵桧造りの山門だけは残り昔日を偲ぶよすがとなっている。
御小人町 御小人町 龍華前の石柱
御小人町(現・宇和津町3丁目) 「龍華前」の旧町名表示
平成15年3月完成

●わが町文化財 宇和島中町(なかのちょう)教会 [日本基督教団]

いにしえの屋敷町、京町の四つ角に面して立つレトロムードの中町教会は、昭和6(1931)年6月完成。総二階切妻屋根で、2003年6月号※でも書いたが、外壁はモルタルをデコボコに吹き付けた「スタッコ」という当時で流行った左官技法らしい。樋口虎若邸とともに、この付近に残った洋風建築では数少ない貴重な文化遺産である。
‘中・四国伝道の父’米国人宣教師J・B・ランバスが、明治20(1887)年親子で来宇し、本町1丁目に「宇和島美以(みい)教会」の名で聖書を教授したのが、宇和島地域の人々に広く伝道を開始したはじまりとされ、同29(1896)年9月2日中町8番地(現在地)に教会堂を新築、南メソジスト教会に名称変更となり、さらに、同40(1907)年日本メソジスト宇和島基督教会に変わった。
轟夕起子が在籍した鶴城保育園は、明治37(1904)年W・P・ターナーにより同所に一時保育所が開設されたのを記念して、大正6(1917)年、鶴城保育園(昭和2年鶴城幼稚園に改称)としてこの教会に併設されたもので、宣教師キャラハンが開設者といわれる。卒園児名簿には、第6回卒園児20名の1人として轟の本名西山都留子が記されている。
口承によれば、‘時代劇のパイオニア’と称された映画監督、伊藤大輔※(明治31年10月13日元結掛生まれ)も、幼少時代ここに通っていたという風説がある。彼が宇和島を離れた時期は、保育所が開かれた翌年の明治38(1905)年と推定されているから、その可能性は少なからずあると思う。
宇和島中町教会(現在)
宇和島中町教会(現在)

宇和島中町教会(明治29年・南メソジスト教会時代)
宇和島中町教会
(明治29年・南メソジスト教会時代)
※2003年6月号 富樫邸の項参照 宇和島に残存する文化財として希少価値の高かった旧士族屋敷・富樫邸は、残念ながら2005年2月現在完全に姿を消し、跡地にアパート建設が急ピッチで進んでいる。
※「伊藤大輔」については次回詳述!

  ◆参考文献◆
日本基督教団宇和島中町教会・創立90年誌 [宇和島中町教会]
鶴城幼稚園70年の歩み [鶴城幼稚園]
日本映画俳優全集・女優篇 [キネマ旬報]
宇和島の自然と文化 [宇和島文化協会]
ふるさとの想い出写真集/明治・大正・昭和 宇和島 [国書刊行会]
愛媛温故紀行 [アトラス出版]
過ぎさりしも [松本麟一著]
愛媛県大百科事典 [愛媛新聞社]


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